この『おとらく手帳』は、2006年〜2010年です。2011年以降は、新しい『おとらく手帳』へどうぞ!

ひさびさのおとらく手帳です。

  • 2007年12月15日(土)
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Photo by まっつん

ひさびさの、おとらく手帳です。

あいかわらず忙しくしていました。

12月になっても、いちょうの葉が黄色く色づいてきれいな夜の御堂筋、地球の調子もおかしいからか、元気な僕も移動疲れで少しバテ気味。

11月25日、気がつけば2本ライブをしていました。しかも、一字違いのワカヤマと,
オカヤマ。和歌山の主催者からは11月24日お願いしますということで、つぎの日
岡山なのですよろしくと引き受けたのですが、クラブイベントで実際は25日の0:00スタート、1:00演奏終了後楽器片付け、2:00車を運転して4:00ごろ大阪に帰り着きました。
もと映画館をクラブに改造したところだからステージが高い(1,5mぐらい)のです。後で解った事ですが仮設の段梯子がきちっととめらていなかったのです。演奏終了後明るかったステージが急に真っ暗になり手探りで楽器を片付け終わった時には周りには誰もいない、誰も足下を照らしてくれないので、しかたなくごそごそ探して、梯子を見つけ足を一歩かけたら身体が宙に舞っているではありませんか、楽器をしっかり両手で握りしめていたので、「アーえらいことになったな」っと瞬間嫌な感じがよぎりました。真っ暗ななか何がおこったのか解らない状態。すでにフロアーでは、ダンスミュージックが轟音でながれ、声をだしても助けてもらえる状態はない、頸椎をいためていたらもう2度と立ち上がれないと悲壮な覚悟。あちこちうっている、目と鼻が
痛い、どうも顔も痛打し眼鏡で鼻をうっているような感じ、ひと息ついて、手がうごくかおそるおそる動かすと、アーよかった動く、足は動く動く、マー何とかなるだろうと、誰の助けも無い状態でぼつぼつうごきだす。なんとか楽屋にたどりつき危険な現状を報告、大阪の自宅に帰らなければ岡山の「風の楽団」コンサートの迎えの車に乗れないむね伝え和歌山インターまで若い人に助手席に乗ってもらい案内してもらってたどりつく。そこから先、この状態で一人で運転して帰り着く事が出来るのかなと不安がよぎった。高速道路を70Kmで走っていた。これは危険だ、でも80Kmは出せないと思っているとびっくりするような事がおこりました。実際危機に立たされるとこんなことが起るのだなと驚きと同時に感動しました。
すると、頭の中にやさしい黒人の声の英語で
Trust me I will bring you to your home.と聞こえるではありませんか、
愛車フォード トーラス 16万8千Kmともに旅をして来た車の声だと解りました。
それからほとんど車と英語ではなしながら、安心感につつまれて無事大阪にたどりつくことができました。

そして仮眠、10;00ごろ風の楽団の迎えの車がきました。岡山へ眠りながら着きました。
僕は、まだ59歳。でもお迎えをリアルに感じる時が何度もあります。いずれは僕も亡くなります。僕が今まだここに生かされているのには、何か不思議な手助けがあるような気がしてなりません。和歌山からの車の中の出来事は、単なる妄想ではないように思います。まだ生きてなすべき事があり、その思いを手助けしてくれるなにか目に見えない力が働いたようおもえてなりません。
岡山蔭涼寺、ユーラシアンルンでもお世話になっているお寺が会場です。
三々五々メンバーが集まりだしました。
岡山映画祭でのアートドキュメンタリー映画「船 山へ登る」は岡山市オリエント美術館にて上映と連動での音楽担当をさせていただいた「風の楽団」のコンサートです。
移動中ぐっすり眠っていい感じ、さほど痛みも感じないのがおかしいぐらい。
サウンドチェックもいいかんじ、15年間旅して来たいつものメンバーが全員そろっている、感動的。マネージャー、音響、ミュージシャン。誰一人もかけていない、ありがたいことです。しかも、まだまだ進化を続け、素晴らしい作品にも巡り会い、サントラ盤のレコ発ライブを岡山の地でできるなんて幸運の一言につきると思います。岡山の友人、遠方の友人が駆けつけてくれました。ありがとうございます。本田監督のご挨拶もあり感激。
この映画は、ダム賛成派と反対派が一票差で賛成派の意見がとおり、ダムができるのですが、このような緊迫した状態で工事がすすむと三代もいがみ合いが続く悲しい事態になります。不幸がより悲惨な状態になります。そこに、何百年も暮らした
足跡をアートとしてとどめようとするプロジェクトで、人が暮らすあり方をやさしく問いかける映画です。自分自身の家族の暮らしと重なる部分が沢山あり、皆さんにも是非見ていただきたい作品です。26日帰阪。

12月1日 あさ7:15伊丹発羽田のJALで東京。下村誠さんの1周忌の法要
12月2日、追悼コンサート。もう1年たってしまったのか、かれは生前、夢の中で
吉本有里さんが歌う歌を映像で記憶し書きおこし録音することをくりかえしていました。それは彼が有里さんに光となって道を照らすおこないであったように思える、本当の不思議な話です。僕は吉本有里さんのなかに下村誠さんがいるような気がしてしょうがありません。悲しみ、喪失を音楽のちからとともに乗りこえた新たなより力強いオーラを感じました。
ご縁は、時や空間を超え繋がっているのですが最近とみにその事を強く感じます。
僕と妻の共通のすごく大切な友人が東京に引っ越していて妻がコンサートに誘いました。友人は、有里さんのお隣のTさんと会場の本應寺で出会い、感激。二人はあるおしゃれな雑貨屋さんで、偶然出会っていて長野にいらっしゃいと誘われている仲だったんです。なんと云う繋がり、出会いでしょう、友人は有里さんの音楽に感動して帰りました。
僕は旅は未来を明るく照らしてくれる光の道だと思います、その光を胸にこれからも旅を続けます。