この『おとらく手帳』は、2006年〜2010年です。2011年以降は、新しい『おとらく手帳』へどうぞ!

晴れました。

  • 2011年04月25日(月)
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アースデイin大阪、主催代表として7年進めてきました。今年に入って準備するなか串間、上関のことをアースデイ東京のこうちあきおと話し合いながら進めているうち、東日本大震災が起こり急展開、アースデイとしてどう支援するのかと云う話になりました。
24日当日、晴天! たくさんの方々が集まって下さいました。
開催の準備を進める中、僕の友人で東北の人も数多く安否確認出来た人と、そうでない人もいましたがその中に実家が大船渡の人もいました。あまりに激しい被害の映像をみるなか、電話をかける事も出来ないでいました。ところが当日、電話もかけにくいだろうと思って顔を見せに来たよと無事を知らせに会場に来てくれました。
出会いと云えば、前日の大雨のなかの準備風景をFace bookにのせたら、
劇団態変の金満里代表がゲルについてコメントしてくれ、当日来てくれました。

天気に恵まれ、たくさんの人の笑顔に出会えうれしかったです。

4/17

  • 2011年04月17日(日)

昨日、4/16京都へ移動中舞踏家の桂 勘さんから電話が有り。
あす。つまり今日4/17 演奏してほしいとのオファーでした。
KBS京都の生放送も、とても気持よく。夜のうずらギャラリーのコンサートの時間まで、友達と楽しい会話。コンサートには桂さんも来ていただき。深い洞察を語られました。
きょうは、タイの胡弓と笛の方と共演です。桂さんの舞踏楽しみです。
アーバンギルドは京都市木屋町三条下がるニュー京都ビル3Fです

本田孝義監督より電話いただきました。

  • 2011年03月31日(木)
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「船山にのぼる」の映画監督の本田孝義さんから電話をいただきました。テレビにながれる厳しい状況を写すニュースの映像はあまりにつらく、風の楽団岡山ライブでの僕の作曲した「ふるさと」の映像と音楽を、You Tubeにアップしたいとのことでした。みなさまが安らいで下さるお役にたてればうれしいですとお答えしました。

何かできる事はないかと気をもむ毎日ですが、法然院の梶田真章さんの呼びかけで追悼の法要、鐘を突き、ドゴンの笛で奉納演奏をさせていただきました。
生かされているこの今に感謝しています。

ムービー再生はこちら
http://www.yamamoto-kosei.com/movie1.html

この度の震災

  • 2011年03月17日(木)

3月10日長野県の駒ヶ根に吉本有里さんのレコーディングにでかけました。10日夜はおしゃれなカフェでライブ。11日朝からレコーディングがはじまり、心地良く録音は続きました。昼食後の録音最中におおきな長い揺れがきて外へでました、それから5分位に感じるほど揺れ続けました。おさまってからも余震がありましたが音楽に集中しているので、テレビは見ませんでした。持参したラジオを寝床で聞くと,未だかつてない災害の様子が聞こえています。前むいた気持ちで音楽を表現したいのでそのまま眠りました。その眠りの中轟音がなり飛び起きました、ラジオで長野県が震源の地震だとわかりました。12日午後明るいうちに録音を終え名残惜しみながら中央高速に乗りました。車の流れもよくスムーズに走っていました。給油のため、サービスエリアのスタンドで満タンお願いしますと云うと、供給のめどがありませんので20リットルしかお入れする事は出来ません,との答えにこれは大変な事が起っていると身を以て感じました。そして一度も休む事無くひたすら走り続け大阪の我が家にたどり着き,楽器や荷物を降ろし一息ついてテレビをつけると、いままで見た事のない光景がくりひろげられています。涙が流れてきました。何かしたい、出来る事はなにか、きちんと考えて、被災者に迷惑をかける行為はさけないといけないし,もどかしい思いが募るばかりです。
僕が代表を務めるアースデイin大阪ロハスサイクル実行委員会として、
4月24日アースデイin大阪を旧北天満小学校で自転車発電のエネルギーだけでおこないます。微弱な発電で、被災地に電力を持っていく事は出来ません、しかしエネルギーの大切さを身体を使って感じていただき、実行委員会,参加して下さる方、ひろく皆さんに呼びかけ、私たちが出来るかぎりの救援活動をさせていただきます。
また、アースデイ in 大阪 ロハスサイクル実行委員会は、アースデイ東京2011実行委員会が発表する「上関に関する声明」に賛同し連名しております。
アースデイ東京の理事こうちあきお氏と電話で全国アースデイとして,原発のことを考えなくてはと云っていた矢先、福島第一原子力発電所で事故が起こってしまいました。懸念していた事故です。これから、未来に向けて社会、エネルギーのありかたを
根本的に考え直す時が来たと思います。世界が賞賛する日本人のすばらしさは、争いをやめ世界中が一つに成る事を示していると思います。

スタッフ ベンダ ビリリをみた!!!!

  • 2011年01月23日(日)

そこぬけにあかるく、元気で、観客みんなが笑顔で踊りだすバンド、「スタッフ ベンダ ビリリ」 をNHK Hiでみた。コンゴのキンシャサの手作りの3輪車いすに乗る
元ホームレスのバンド。缶と木で作った一弦琴サトンゲ、まるでオーバードライブのかかったエレキギター、箱にキックのベードラ、木をくりぬいたタムのおんぼろドラムキットが作り出すコンゴリーズルンバの強烈なグルーブ、分厚いコーラス。
かっこええ。ベンダ ビリリはリンガラ語で外見にとらわれるな中身を見ろ、と云う意味だそうだ。
「オレはかつて段ボールで寝ていたが、ツキに恵まれマットレスを買えた。人間に“再起不能”なんてことは絶対ない、“遅すぎる”なんてこともない」と真の障害は肉体ではなく心の中にある、と人々に呼びかける。

音楽でみんな繋がりアフリカいちのバンドをめざした彼ら。音楽は楽しくすごい力を持っている事にまた感動した。ほんとにかっこええ!!

2011年1月9日 東京江古田バディー40年目の奇跡

  • 2011年01月15日(土)

白カラスLive at江古田BUDDY
このライブが決定したのは2010年12月9日だったと思います。ウォンさんがウィキリークスに流出した凄惨な映像に衝撃を受けたことが動機となり平和の祈りをもとめ、実現にこぎつけたのだと思います。ウォンさんと僕は、昨年も大阪でコンサートをした『アースブリーズ』というアルバムを3枚出したり、濃密なおつきあいをさせていただいていました。YAS-KAZ氏とはここ15年ほどお会いもしていなかったのですが数ヶ月前突然電話が有り元気で居る事を確認、ウォンさんの電話番号を教え連絡を取り合ってほしいと話しました。事が動き出したのはその後のことです。YAS-KAZから聞く所に寄ると1968~9年僕は今は亡き素晴らしい大先輩であるベイシスト吉沢元治さんとデュオしていました。YAS-KAZ氏はその演奏をみて、一緒に演奏をしたいと思ったそうです。ウォンさんにはある大学の学園祭でお互い別のグループで出演していて、僕から一緒に演奏しないかと声をかけ、当時[前衛音楽]とか[実験音楽]とかよばれていた音楽のメッカ・ピットインニュージャズホールで演奏するようになり、YAS-KAZ氏も加わり
白カラスというバンド名で活動するようになりました。この三人で演奏するのは本当に40年ぶりでした。それぞれがたどってきた道のりを過去形ではなく未来形で表現した奇跡の2時間でありました。すこし時間が流れあらためて奇跡のながれをかみしめています。いかされて、出会えて,前むいて演奏出来て、至福の時でした。

2010年ありがとうございました。

  • 2010年12月31日(金)

今年も、もう2時間ほどで暮れて行きます。
2010年ありがとうございました。
つながる御縁がひろがりいろいろな次元に旅する事が出来ました。
みのまわりでは、知人、友人が、たびだち身体を離れた永遠に繋がる
生命を感じてきました。

40年前に活動していたバンド「白カラス」のリユニオンが2011年1月9日にあるのも
感動的です。10年一昔という単位からすると気の遠くなる時の流れ。
未踏の世界へ踏み込むこころいきです。
2011年もよろしくお願いいたします。

フィリピンツアーその2

  • 2010年12月28日(火)

カダクランからイフガオ州フンドア、ハパオに
16日フィリピンの山岳地帯の移動は時間がかかる、今年のハリケーンで崖崩れがおき車一台ぬけられるぐらいに復旧した道、日本のようにどこでもトンネルを掘りアスファルトで舗装してしまったら便利かもしれないが,その便利さで失っているものがどれほどあるのかを感じる。夜の移動は、危険であるが神秘的でもある、がなかなかハパオに着かない。あたりは真っ暗ら、なにか精霊の気配を感じる。懐中電灯の光がチカチカ見えた、高校生が迎えに道路まででていてくれた。楽器や荷物はかれらがもってくれ、暗闇をキャップランプの明かりで棚田のあぜ道を下る。どんどん下り渓流の音の所まで下ると明るくなった。そこが、われわれの宿舎Resortでした。そこはイフガオのHat(高床式茅葺き屋根の家)が数軒たっている。その一軒に落ち着く。
翌17日から、棚田慰霊パフォーマンスの準備。

18日KURIによる1100羽の平和を祈るハトのインスタレーション、廣田緑氏によるアートインスタレーション。小学生による1000のキャンドル、カワヤンによる旗のアートインスタレーション。JUNによる傾舞い。満月。エドガー、ケント、アレックスのカリンガのミュージシャンとKURI,そして我々。調和に満ちた。パフォーマンスでした。

19日は,キドラット氏の山の家に行く際、ロペス氏に教えていただいたが山の棚田は第2次大戦の米軍の爆撃で大きくえぐれ未だに再建出来ていない。フィリピンでは日本軍が50万人亡くなった事は知られているが、フィリピン人が100万人亡くなっている事は知られていない。ロペス氏の額に残された傷は米軍のバズーカ砲の攻撃でできたそうだ。たくさんの命がなくなり、未だに慰霊もされない御霊が眠るこの地で我々の心の限りの鎮魂の祭礼、友情を結び未来に向けたささやかな一歩のはじまりです。ロペス氏はもう百万本をこえる木をを植えている未来に橋を架けている人です。
谷のむこうの学校の体育館で、高校生の素晴らしい演劇。
KURIの演奏。最後にJUNとミュージシャン全員のセッション。平和と調和的未来の為に。
20日16時間かかりマニラに到着。21日大阪にもどりました

フィリピンツアーその1

  • 2010年12月27日(月)

フィリピンの山岳地方の棚田から帰って一週間になろうとしています。
帰ったその夜は大変元気で、疲れは感じませんでした。ところがその翌日
から、足腰にはりがで、鼻風邪のような症状がでました。温度差に身体調整が
ついていかない感じでした。
フィリピンは昨年に続き2度目の訪問でした。今回よびかけてくれたJUNをリーダーに同行のメンバーは尺八の福本卓道、シタールの南沢靖宏、なんども一緒に演奏していますが、海外ツアーでご一緒出来て嬉しいです。
マニラ空港に主催者のCGN代表反町真理子さんがむかえにきて下さりバギオに移動。
空港ですでに暑い。バギオの宿舎で歓迎のパーティーでおいしいナマズのフライや
フィリピン料理のかずかずと、てんぷらや寿司など日本料理に舌鼓をうち、われわれもお返しに演奏。
14日カダクランに移動、山岳地方は本当に美しい、峠道で雲海を望む朝の光が刻々と雲を彩り変化して行く息をのむ光景でした。
長い下り坂をおりついた所が、カダクランの集会所兼我々の宿舎に到着。
美しい棚田のあぜ道をくだり、アラビカ種のコーヒーの苗木を植樹。穴もあけていただいて植えるだけ。この苗木は350年まえスペインがもちこんだ品種そのままを守り育てたもの、この地の人は意識が高く、CGNがタイアップする以前から独自に植樹活動を始められ,今期は2万5千本の苗木を準備されているとのこと。

午後小学校でおこなわれたワークショップに同行、小学校の授業に犬もリラックスした表情で参加しているのに驚いた、日本の規則ずくめの学校ではあり得ない光景です。
のんびり、開かれた学校の姿、廊下につり下げられていたのは1t爆弾の不発弾から作られた授業の開始をつげる鐘。戦争の記憶が読み取れる。
琴美さんの「共に活動することを身体で体感するワークショップ」も佳境にはいり、僕が呼び込まれ、教室でいつも身につけているドゴンの笛を吹きました。ちょっとざわついていた教室がシーンと成り,拍手喝采僕の出番は終わり、夜のコンサート、JUNとのダンス。濃厚な日が静かにくれました。

11月28日風の楽団 法然院

  • 2010年12月01日(水)

11/27うさとの森にて えま&慧奏、山本公成 ほしこ
コンサート*風の楽団、法然院ライブの前夜祭。映画「いのちの響宴」つながりのライブコンサート。たくさんのいのちが繋がり生かされている事をあらためて深く感じるライブでした。交流会でおいしいごちそうを肴ににおおいに盛り上がりました。
翌28日法然院、紅葉まっ盛り人でごった返す銀閣寺、哲学の道、法然院もたくさんの観光客の方々がいらっしゃいました。
三々五々メンバーがあつまりセティング、サウンドチェックその間に香川県からライブを見に来てくれる岡山県民友人。神戸付近で渋滞にヒッカカッタとの連絡があり,気をもんでいたら少し遅れて到着しました。ありがたいです。
他にも東京や徳島など遠いところから来て下さいました。
20年にもなるバンドですがみんな忙しくてスケジュールがなかなか会わず今年は2度目。
軽く音合わせをしただけでツーカーという感じの演奏。
こころが通っているのを感じます。お客様も、心地良さそうに帰路につかれました。