この『おとらく手帳』は、2006年〜2010年です。2011年以降は、新しい『おとらく手帳』へどうぞ!

フィリピンツアーその2

  • 2010年12月28日(火)

カダクランからイフガオ州フンドア、ハパオに
16日フィリピンの山岳地帯の移動は時間がかかる、今年のハリケーンで崖崩れがおき車一台ぬけられるぐらいに復旧した道、日本のようにどこでもトンネルを掘りアスファルトで舗装してしまったら便利かもしれないが,その便利さで失っているものがどれほどあるのかを感じる。夜の移動は、危険であるが神秘的でもある、がなかなかハパオに着かない。あたりは真っ暗ら、なにか精霊の気配を感じる。懐中電灯の光がチカチカ見えた、高校生が迎えに道路まででていてくれた。楽器や荷物はかれらがもってくれ、暗闇をキャップランプの明かりで棚田のあぜ道を下る。どんどん下り渓流の音の所まで下ると明るくなった。そこが、われわれの宿舎Resortでした。そこはイフガオのHat(高床式茅葺き屋根の家)が数軒たっている。その一軒に落ち着く。
翌17日から、棚田慰霊パフォーマンスの準備。

18日KURIによる1100羽の平和を祈るハトのインスタレーション、廣田緑氏によるアートインスタレーション。小学生による1000のキャンドル、カワヤンによる旗のアートインスタレーション。JUNによる傾舞い。満月。エドガー、ケント、アレックスのカリンガのミュージシャンとKURI,そして我々。調和に満ちた。パフォーマンスでした。

19日は,キドラット氏の山の家に行く際、ロペス氏に教えていただいたが山の棚田は第2次大戦の米軍の爆撃で大きくえぐれ未だに再建出来ていない。フィリピンでは日本軍が50万人亡くなった事は知られているが、フィリピン人が100万人亡くなっている事は知られていない。ロペス氏の額に残された傷は米軍のバズーカ砲の攻撃でできたそうだ。たくさんの命がなくなり、未だに慰霊もされない御霊が眠るこの地で我々の心の限りの鎮魂の祭礼、友情を結び未来に向けたささやかな一歩のはじまりです。ロペス氏はもう百万本をこえる木をを植えている未来に橋を架けている人です。
谷のむこうの学校の体育館で、高校生の素晴らしい演劇。
KURIの演奏。最後にJUNとミュージシャン全員のセッション。平和と調和的未来の為に。
20日16時間かかりマニラに到着。21日大阪にもどりました