この『おとらく手帳』は、2006年〜2010年です。2011年以降は、新しい『おとらく手帳』へどうぞ!

熊野出会いの里  その4

  • 2006年11月12日(日)
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ここちのよい祭りのあと。麻野さんの御屋敷、大塔川と熊野川が合流する、要衝
広大な絶景に満月。夜遅くまで語る。かたりきれない、夢まぼろしのような時。
再会出来た深い意味を味わうような、余白。その夜から6日早朝につづいて、聴いた事もない轟音、と雷鳴。「ここは龍の通り道、龍の音をきいた。」と思いました。
きょう、(11/12)TVのレポートが北海道の竜巻きと同じ気象条件で田辺の海上で、6日に竜巻きがおきていた事を報道していました。あの轟音も前兆だったのでしょうか。
自然の脅威にひれ伏したくなる体感でした。さっそくレポートを書いたしだいです。

リトアニアからの贈り物

  • 2006年10月25日(水)

きょう10月25日午後、デスクワークをしながら、NHKの全国ニュースを、流していました。すると、広島、リトアニア、さだこという、単語がバラバラと聞こえ、意識を、ニュースに集中しました。内容は、きょうは原爆病と向き合いながら、千羽鶴を折りつづけた「さだこ」の命日、はるかリトアニアからその命日に4千羽の千羽鶴
を、広島の「さだこ」像にそなえ、二度と原爆の惨禍がおこらないように祈りを捧げる為、去年から準備してきた学生たちでした。しかも日本語でインタビューに答えていました。広島の小学校をまわりたい、とも伝えていました。
3年まえ、妻がぼくをバルト三国の旅に誘ってくれて、訪れたリトアニアのヴィリュニス、そこを案内してくださったのはヴィリュニス大学の日本語学科の教授でした。
彼は自己紹介で、杉原千畝さんを尊敬してひとりで何の教材もないところから勉強をはじめ、猛勉強して、日本にも留学。リトアニアの日本語学の中心になった方です。
僕は、ただならぬものをかんじました。
60年以上前、ナチの収容所に送られるひとびとを日本経由で、逃がす為に6千通
のヴィザを書き続けた領事に感動した青年がまいた種。リトアニアでは杉原千畝さん
は大変尊敬され、いまだに彼を顕彰する活動が盛んに行なわれています。
無血革命をなし得た彼らが「さだこ」をわすれていない。日本人の僕が知らなかった
ことを、恥ずかしく思いました。

数年前、日本人の大学生が「さだこ」の千羽鶴を燃やしたことがありましたね。
僕達日本人は、「わすれる」ことで逃れられる。
今、真剣に誠実に、なぜ現在、虐待やいじめによる自殺が起っているのか、、。
なぜ、今核武装さえしてしまいかねない状況にあるのか、、。

わすれてはいけないことがある。今日、リトアニアの大学生が伝えてくれました。

『住居址』東野健一さんの展覧会で演奏させていただきました。

  • 2006年10月23日(月)
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10月20日(金)
僕の大好きな、絵師・東野健一さんの展覧会で演奏させていただきました。
「1点で個展」GALLARY北野坂、安藤忠雄氏の設計によるコンクリート打ちっぱなしのモダーンな空間、響きは抜群、コンクリートの大壁面と、大きなガラス窓の開放感
そこに、ズーットいるように彼の作品はいました。
「住居趾」というテーマ、繊細にして濃密な表現で描かれた絵からは物語が聞こえて来ます。
いま、この地球はいくつもの文明を重ね、今また、ひとつの極限を向かえようとしているように感じます。僕は演奏しながら東野さんの作品に影響されている自分を感じていました。響きはとても心地よく東野さんの作品を見にこられた人々、弟子入り志願の青年、皆さんの気が空間を液体のように満たしていました。

『住居址』

  • 2006年10月23日(月)
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僕が学生の時、横浜の弥生時代の遺跡の発掘の手伝いをしたことがあります、当時の人がふみ固めた生活面はその上に乗っている地層とは全く違う質感をもっていて、手で触れると、人々がはだしで踏み固め輝いている足跡の感触は時を超えて巡り会った温もりをもっていました。
風の楽団でヨーロッパツアーをしたとき、ギリシャのミコノス島に行きました。エ−ゲ海に浮かぶ、白い回廊。そこから漁船で40分ほど行った所に、デロス島という神殿の島があります、そこはいまも発掘調査中研究者だけが住んでいて、5時になると見学者はそこを出て行かねばなりません。研究者だけの島なのです。小さな島には、大理石の建造物ばかりで、農地と思われるものはほとんどなかったように思えます。研究者の説明ではここがチャイナタウンだったという所もありました、なんと2000年以上まえにチャイナタウンもあったのです。僕には、その神殿島は主として信仰と交易によって生活が成り立っていたのだと感じられました。その栄華と破滅の落差はどれほどのものであったでしょう。廃虚には下水道もあり大理石の道で、何があったのかわからない不思議さで建物が残っている。その光景がうかんできました。

人は、生まれて必ずなくなる。暮らしも、建物も、永久に存続するものは何一つない
いつかは必ずなくなるはかなさをはらんでいる、だからこそ美しい。

現在、進行している驚くばかりの物質文明が滅び、いつの日か発掘される時どのようなものとして存在するのか想像すると、、、、いま何をなすべきか、どろどろにとけた核戦争の遺跡だけはこれ以上残したくないですね。

観月祭

  • 2006年10月17日(火)
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10月7日 満月
観月祭、今年はシークレットな感じの祭り、いや祀りに限りなく近い。こういう時は、かならず道に迷ったり、雨が降ったり、雷がなったりという予感はありました。お浄めがあって、はじめて祝福される。場所は淀川のとあるところ。まるでスパイ大作戦、本当に祀りたい人だけがくることができる特別な所。といっても河川敷の公園なんですが。案の定、方向はあっているはずなのに見たこともない道を何度も行ったり来たり、川沿いの道は、一方通行だの細い道やともかく橋を渡らないとどうにもならない深遠、彼岸へと行けども行けどもたどりつけない深みをはらんでいることをしばしばかんじることがあります。そこへ、主催者の方から携帯に連絡がありほっと胸をなで下ろす。かなりいい線に来ていたけれど、一本ちがい、再度アプローチ、歩道で手を振っている彼を見た時、今日も大丈夫。僕らが道に迷って彷徨っている間、もう祀りははじまり、宴へとすすみつつあった。僕は、安堵の気持ちと同時に、演奏する、よろこびの胸のたかまりを感じてわくわくしていました。

観月祭

  • 2006年10月17日(火)
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風がふき、雲間からときどきのぞく満月。雨までふりだして、、、お浄め。
そして、その後雲ひとつないそらに、満月。もういうことなし。

観月祭 

  • 2006年10月17日(火)

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都会のまん中で、車や電車の光りをバックにして、すばらしいシチュエイションに感動して、演奏させていただきました。最後はリクエストで僕の作曲した「月の唄」で終わりました。

月の庭

  • 2006年10月06日(金)
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三重県亀山の「月の庭」で
「こわれものの祭典」ー番外編
「人生なんでもあり」がおこなわれました。
あめが降り室内でおこなわれました。

月の庭 その2

  • 2006年10月06日(金)
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月乃光司さんのエッセイの朗読、詩の朗読
ぼくのソロ、歌舞伎昌三さんの舞踏と3人で。

月の庭 その3

  • 2006年10月06日(金)
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生きづらく、苦しみをかかえている人々に、
病気を自分の個性として受け入れ、そのままの自分で生きていこうと決意することだと気付いたからだ。と伝える、自らの体験を詩にし、絶叫朗読する月乃光司さんの
よびかけで、展開する「こわれものの祭典」

とは言え、中味は、泣き笑いのすばらしい表現。

絶叫朗読、舞踏、音楽がくんずほぐれつ、はじめは、緊張して、頭をかかえて聴いていた観衆も声をあげ、笑うしかない。それがこの不思議なライブの大いなる力でした。