この『おとらく手帳』は、2006年〜2010年です。2011年以降は、新しい『おとらく手帳』へどうぞ!

月の庭 その4

  • 2006年10月06日(金)
アップロードファイル 81KBアップロードファイル 83KBアップロードファイル 102KB

東京、新宿のLoft Puluse Oneでおこなわれた「練炭で死ぬ前に私達を見てくれ」
に参加して、3人で意気投合! 今回もライブをやっている3人が大感動。
続けて、このユニットでやりましょうと。皆さん全国どこでも行きたいです。呼んで下さい。

9/27 四国巡礼のテレビを見ていると、四国から、栗が届きました。そして、思いはふくらんで、、

  • 2006年09月27日(水)
アップロードファイル 111KBアップロードファイル 120KB

昼のNHKの趣味悠々という番組をなにげなく見てい
ました。四国巡礼のHow toを懇切丁寧に説明してく
れる番組で、団塊の世代にむけて制作されたように
感じました。
11年前、首の頚椎の手術。退院してから作曲の取
材と称して、四国巡礼に誘い出してくれた藤條虫丸
と共に旅したこと、これが現在のぼくのある意味で
スタートだったのです。なつかしく見ながら、妻と
も行ってよかったねと和やかに話していると。
アースブリーズ3の「ふるさと」テーマ部分がまる
まるかかりました。こうして聴いていると、ウォン
さんや、アースブリーズコンサートを、主催してく
ださった和歌山の護念寺さん実行委員の皆さんの優
しさに、またしても生かされている今に感動しました。

2007年問題でこれからのあと20年どう生きる
のかを楽しみ模索する団塊の世代とよばれる僕達。
生まれたくて生まれたわけでも親を選ぶことも出来
ない、人口が多いのでひとくくりにされがちですが
それぞれはあくまでもひとり独立した存在であるわ
けです。
まあ数の多さから影響もおおきいわけですけど。
僕の父は満州で農業の指導者のしごとをしていました。
クラッシック音楽が好きで、放送局の選曲をし
解説文を書いたり、僕に音楽の影響をあたえてくれ
た人でした。終戦まじかに召集され、わたされたの
は木銃、すぐソ連軍の捕虜になりウランバートルの
捕虜収容所に捕虜として収容されたそうです。先年
亡くなりましたが、戦争のことを聴いておきたくて
何度もたずねましたが、そのたびに口は重く多くを
語ってはくれませんでしたが、極寒の地で森林の伐
採の強制労働で、多くの人々が亡くなったこと、室
内に入る時に、指先の骨が透けて見えないかお互い
に確認し、鼻先や手と手を会わせこすりあって暖め
ないと、凍傷で壊死をおこし衰弱し、亡くなる。
衰弱してくると室内に入る手擦りも十分出来なくな
り死に至る。父は、絶対生きて日本に帰ると強固な
意志をもって、夏、冬に切り出した木材を筏にして
川を流す労働をしているとき、脱走したそうです、
捕まってもどされてもまた脱走したそうです。
その収容所の所長さんは優しい人だったのでしょう
父の生存への勇気に敬意を払い食堂勤務にまわして
くれたそうです。
普通だったら殺されている所でしょう。
そして、先に1才そこそこの乳飲み子の兄を連れ命
からがら引き上げて来た母の所へ父は帰ってきたの
です。焼け野原になった大阪を捜しまわり焼け残っ
た都島の友人宅に身を寄せていた所にたどりついた
のです。この戦争で世界中にベビーブーマーと呼ば
れるおおくの子供達が生まれた影には、ひとりひと
りの生まれる為の奇跡があったのです。

音楽好きの父なのですが、僕の進路で音楽方面にい
くことをなぜか猛反対した父。
その父が82才のとき肺がんで苦しんでいるまくらも
とで、か細い声で「あれかけて」といったのがアー
スブリーズでした、かけているあいだはすやすやと
眠ってくれました。痰がたまり呼吸がくるしいので
背中を摩りながら、ぼくを生んでくれてありがとう
とアースブリズをかけながら声をかけました。
ウォンさんと僕がつくった、アースブリーズで、
すこしでも、苦痛をやすらげることが出来たことが
ありがたかったです。

第二次世界大戦のおとしごが定年をむかえ、人口の
多さからさまざまに批判もうけ、実際、その批判に
行動で答えていかなければならないのですが、ひと
り一人にそんな奇跡のドラマがあり、それぞれの奇
跡に気付く時、おのずと答えが見えてくると思います。

気持ちよかった。チャクラ ライブ 9/22 報告

  • 2006年09月27日(水)
アップロードファイル 92KB

9/22(金)チャクラライブ
長田TACO和承とジョセフ、ンコシと僕のトリオ、最初から気持ちよいだろうなと
想像していましたが。すごく、気持ちよかったです。

気持ちよかったです。チャクラ ライブ 9/22

  • 2006年09月27日(水)
アップロードファイル 101KBアップロードファイル 101KBアップロードファイル 112KB

ローカルな話なのですが、ジョセフの家まで楽器を運ぶため行ってみるとなんと自転車で5分のご近所、車だと一方通行で遠回りになりますが。
打ち合わせは、それぞれを大切に、それだけ。テーマは「まったり」何処にもない組み合わせ、プロデュースはチャクラのオーナー、目論みははずれなかった。
御客様は遠く岡山からも来て下さいました。ありがとうございます。

Gallery HAY-ON-WYE(ヘイ・オン・ワイ)で

  • 2006年09月17日(日)
アップロードファイル 87KBアップロードファイル 84KBアップロードファイル 85KB

やっと少し落ち着いた気象になったかと思えば、ハリケーンが台風になってせまりくる。しかも日本に接近するにつれ巨大化してくる、かつてない事が起るのは、異常気象が新たな段階に入ったというのはうがちすぎか。

山下雪枝さんが主催する書道教室の方の作品展【 中間 聡 展 】の会場 9月6日
Gallery HAY-ON-WYE (ヘイ・オン・ワイ)で、僕の友人の書家伊藤 進さんが東京の銀座で個展を開催するちょっとしたお祝いのミニコンサートをさせていただきました。僕は晴おとこのはずなんですが、降ったり止んだりの雨。しっとりした空気のなか。アコスティックな響きの笛ソロ、29弦カンクレスで、新曲2曲をS,SaxとAltoFluteでデュオ、

ヘイ・オン・ワイ その2

  • 2006年09月17日(日)
アップロードファイル 97KBアップロードファイル 95KBアップロードファイル 84KB

12弦、で新曲そして10弦で「ふるさと」今回のミニコンサートの主な目的、伊藤さんのリクエスト、のサリーガーデン。切なくも美しいメロディー気持ちよく演奏を終え、皆さんと歓談、気がつくと、中間 聡さんの素晴らしい作品につつまれて演奏していたのでした。

白浜 A地点からB地点 神戸へ

  • 2006年09月17日(日)

そして、9月9日を迎えるのでありました。

和歌山護念寺さんの御縁で茂原ドクターが招聘してくださった白浜で演奏後、ポトワの東野健一さんの展覧会での演奏が神戸で7時にあるので、移動は鉄道が確実と事前にインターネットの「おでかけネット」で時間を確認して出かけました。しかし、
JRみどりの窓口で、帰りの予約をとろうとすると「その列車は、日曜しかありません!!え?9/9土曜日で、検索して出てましたよ。おかしいですね JRさんしっかりお願いしますよ。重い楽器をかついで再び電車で家に戻り、車に乗り換え、出直し。
第一回和歌山統合医療研究会 JACT和歌山支部設立記念大会「癒しと蘇り」ー熊野と統合医療・未来科学ーの市民講座「笛の響き/深い森から」で演奏。美しい白浜の海の見えるホテルの会場で演奏。29弦のカンクレス12弦、10弦の調律をし、深く冥想の世界にはいりました。周りの喧噪は消え、電車で往復楽器を運び階段を駆け上がった朝の肉体的疲労も消え、静けさに満ちた平和な世界につつまれました。シンギングボールから演奏にはいり次々と、自作の倍音笛のソロ。そしてカンクレスとのデュオ4曲。皆さん静かな深い森の響きに浸って下さいました。日本統合医療学会理事長の渥美和彦博士も演奏が終わると静かに感動を伝えて下さいました。片付けをしている私達に、皆さんからよかったと声をかけていただきました。
4時過ぎに白浜を出発、渋滞もなく道路はスムーズ、6時30分には神戸三宮につきました。ところが、神戸は一方通行が多く、一つ道を間違えると、とんでもない所に出てしまい、同じ所をなんどもうろうろ、でも7時過ぎには、会場のCAPハウスに着き、7時30分に演奏を始めることができました。とてもひびきがよく、ブラジル移民の出発宿舎であったところを、保存し,今に生きるアーティストのアトリエであり、ギャラリー&ホールとしていかされています。「いかたこキスキス」というイベントの一環、以前に知り合いがいる空間として、たずね、カフェでお茶を飲んだ時なにか特別なものを感じていました。NHKのドラマでブラジル移民の家族の奇跡を描いたドラマを見、ここが希望と苦難と愛別の空間であることを知りました。鎮魂の音楽しかないと心込めて演奏しました。地球というこの星の上の大地、人類は、寒さ、雨や、嵐などから、家族を守る建造物、家屋をたてて、命を守り繋いで来ました。建物は、そこで暮らした人々の息吹きをすいこんで建ち続けていることを感じることがあります。音楽ホールは、よい音楽を聴き込んでより良い響きを育んでいます。そういったホールを沢山知っています。ましてや、運命を分かつような人々の息づかいを包んで来た建物は、独特の響きを持っていることを感じました。そして、15年ぶりの友との再会もあり忙しくも、満たされた時に感謝して帰路に着きました。

ゆらき その1

  • 2006年09月17日(日)
アップロードファイル 89KBアップロードファイル 80KBアップロードファイル 71KB

翌日、9月10日は奈良県室生の家「ゆらき」での午後2時からのコンサート
僕と、田中峰彦(Sitar)日野哲(Bass)のトリオ、天気も好いので、僕達は縁側にセッティング、御客様は心地よいお庭で、TASMANIAのなかまの、山口智も遊びに来てくれて、ハンマーダルシマももってきて何曲かいっしょに演奏にも入ってくれました

ゆらき その2

  • 2006年09月17日(日)
アップロードファイル 95KBアップロードファイル 72KBアップロードファイル 105KB

僕のソロからはじめ、ニョタとのデュオ、トリオ、全員、と90分の演奏の終盤の即興のとき急に雨が降り出し、田中峰彦が「あめあめふれふれ、〜、ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」とお茶目に演奏、雨も楽しさにかわった瞬間で、笑い声があがりました。御客様は軒下とか、室内に入っていただき演奏は続行。最後の曲「ふるさと」は室内できいていただきました。

ゆらき その3

  • 2006年09月17日(日)
アップロードファイル 108KBアップロードファイル 119KBアップロードファイル 98KB

楽器の真近かで演奏をたのしめたのが、なによりよかったようで、めずらしい楽器をはさんで、しばし談笑が続きました。片付けも終わり、オーナーの芦田さんと、落ち着いたうたげ。此のお宅は300年以上経つ、大きな庄屋さんの屋敷をオーナーの芦田さんが、原形を保ちながら美しく現代の暮らしに適応するよう手をくわえられた素晴らしい建造物。囲炉裏端で盃を傾けながら(もちろん、ドライバーは禁酒)最後の曲、室内ですごく好く響いていて心地よかった事に話がすすみました。黒く輝く大黒柱、太い梁、すべてが300年の家族や村びとの暮らしを見守ったこのお家に感謝の音楽を捧げることへ誘ってくれた、雨にお礼をしました。