この『おとらく手帳』は、2006年〜2010年です。2011年以降は、新しい『おとらく手帳』へどうぞ!

今年になって、、、ご心配をかけました。

  • 2010年07月19日(月)
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もう今年になって200日を越え、ほとんどまったく日記を書かなくなり、
ご心配をおかけしました。安否確認のお電話をいただき大変ありがたく思いました。
2月6日川口着
2月7日NHK アーカイブス7周年記念イベント埼玉県川口市をスタートに
2月8日大阪へ
遠征がはじまりました。
4月8日 富山にてリハーサル
4月9日 富山市 全国チンドンコンクール富山銘水美人団で参加 初参戦敢闘賞
4月10日 富山市大手町 フェリーチェカフェテリア にてライブ 
4月25日 ロハスサイクル自転車発電ライブ アースデイ旧北天満小学校(主催者)
4月30日六甲メイドンヴォヤージュ Zoyd log終わりで徹夜で石川県へ
5月1日石川県羽咋市モンベル トライアンドキャリー
5月2日終わりで大阪へ
5月3日大阪発
5月4日大分着
5月5日大分県佐伯市屋形島の虹の岬祭り
5月6日湯布小学校で演奏後大阪へ
5月15日(土)松山朝崎郁恵さんとリハーサル
5月16日 (日) ライブ・アースまつやま〜風の楽団
5月17日(月)大阪へ
今7月19日もう回復しても良いころがなかなぬけませんがそうも云っておれません
このように書くとますます心配をかけますが、5月の移動距離3500kmは
歯にきました、ロングドライブは慣れているつもりですが疲れが抜けきれないまま
次に走るので知らず知らず歯をくいしばっていたようで、奥歯の神経がやられ激痛
が走り食べ物をかむ事が出来なくなり、母のかかりつけの歯科のお世話になりました。
トラックドライバーはもっと過酷なスケジュールで走ってられるのでえらそうなことは云えませんが無理はききませんでした。適度に間があると回復できたのですが5月は
ハードでした。楽しく御縁をいただいた方がホームページにやっとこアップしたスケジュールを見て、これは無理でしょうと、大分県の温泉で待ち合わせをしご自宅に招待してくださったり、みなさまの温かいおもてなしをうけながら無事に乗りこえてきました。とても楽しいときを過ごしていたのですが、帰り着くとバタンキュー。
それと、パソコンのスパムメールでアドレスの変更、ソフトウエアの不具合など
メール環境の修復にマイクロソフトのカスタマーサポートの懇切丁寧な指導を受けながら復旧。アドレス変更の通知もできないですみません受信は今までのinfo@pulsejet.jpでだいじょうぶです

蝦夷鹿 角笛

  • 2010年05月30日(日)
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アース松山の帰路、蝦夷鹿の角が送られてきたこと、そして、その加工がPA会社の社長の協力で出来る事が予定されているように決まっていった。神々しくまさしく角そのものでした。
映画のオープニングのシーンのため、要請され繋がる人々のおかげで録音することができ、翌日「楽」で波紋音の永田砂知子さんとのライブでオーディエンスの前に初見参。憂いを含む音色は知床の森の精霊か、、、

6/5PINOで聞けますよ。

予告編「ガキ帝国」井筒和幸監督作品

  • 2010年03月17日(水)

30年前の僕、嬉しいような、恥ずかしいようなYou Tubeに予告編として出ています。当時、変なことしようと思ったのが今っぽい。
皆若い、僕のS,Saxも若い。


http://www.youtube.com/watch?v=8QxAoqpuSlU

7周年記念イベントのレポート

  • 2010年02月26日(金)

NHK アーカイブス7周年記念イベント 2月7日
NHKアーカイブスのHPです。7周年のレポートがアップされています。

http://www.nhk.or.jp/archives/kawaguchi/event/100206kinen.html

新潟、十日町、大地の祭りに行ってきました。越後妻有アートトリエンナーレ

  • 2009年07月27日(月)
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キドラットとイフガオの仲間に会いたいと、
23日の深夜大阪を出発。十日町市には昼前に到着。
下条の現場にワクワクして行きました。
そこは、イフガオでした。棚田にイフガオの高床式の藁葺き屋根
ドキドキしながら歩いて行くと、キドラットがカメラをまわしている姿が
みえました。ぼくは笛を吹きながら、ぬかるむ道をのぼりました。
嬉しい再会。
時間の経過を感じない、フィリピンにいるような再会。
ゆっくりした時間がながれる、キドラットはウイットとユーモアにとんだ語り口で
16人のイフガオ族の仲間とやってきたエピソードを語ってくれました。コンテナ一杯のハット(高床式住宅)の木材を運ぶより、ビザやパスポートをとるための
ペーパーワークにてこずった、彼らの暮らしには、そんな書類は不必要。
何事もなかったように語ってくれました。

新潟、十日町、大地の祭りに行ってきました。その2

  • 2009年07月27日(月)
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精霊と語り合いながらの暮らしている農民の暮らしはア−トそのもの、カービングの工房では一対のトーテンポールを彫っていました。あっというまに、そのへんにころがっている竹の端材の紋様をいかし龍のような口琴を作る様子は職業的に口琴を作っている職人の比ではないと感じられます。
近代化というのは分業の歴史で専門家されてもアートとはかけ離れて行く。暮らす事を慈しみ楽しむ山岳民は達人。暮らしを味わい、慈しむ結果が結果として作品になっている。この過程をすべて残さず記録しようとするキドラットの鋭いカメラワークが物語っています。すべてをともに味わいたいと思いました。

トーテンポールを下の工房から運び上げるのはアートそのものでした。太い松の木をカービングで彫り上げたものを人力で担ぐ、ガンサと呼ばれる、リズムとメロディーを表現するドラと正装のフンドシでぬかるみの細い坂道を知恵と技術を神聖な儀式として担ぎ上げる姿は、現代の重機を駆使して施行する工事とは全く別の、崇高なものでした。

新潟、十日町、大地の祭りに行ってきました。その3

  • 2009年07月27日(月)
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夜彼らはコミュニティーの交流会にでかけ、越後の人々とがっちり繋がり上機嫌でおかえりでした。その間僕らはOTO,ラビを迎えに下条駅に、かわいい駅舎とホームにとことこ入ってくる一両の電車もかわいい。学生さんや通勤帰りの町の人の為のお迎えバスが待っていて、ほのぼのとした心地よさを満喫しました。

翌日、棚田で僕らは儀式の奉納のように演奏、昼過ぎ帰路につきました。

ご無沙汰いたしておりました。

  • 2009年07月06日(月)
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ご無沙汰いたしておりました。なにか重大な事故病気などではと、ご心配をいただき
電話をいただいたり申訳ありませんでした、かつありがたく心にしみいるものがございました。
フィリピン手帳で「つづく」と表現して以来ともかくとても忙しく「つづく」だったのです。
僕のなかでは、旅は続いていたのですが、書くという行為にいたらず時はながれていました。今に生きる、僕の中の連続性で事足れりとは決して思っていませんが、今を起点に前後左右上下しながら、書き進めたいと思います。

フィリピンでお世話になり、楽しく、深い表現をともにした、ベルリン映画祭受賞の世界的映画監督で芸術家キドラット タヒミックさんが越後妻有アートトリエンナーレで来日しています。旅は、創造の神との出会いであり、生かされている今を輝かせてくれるものです。この手帳に書くいと間もなく動かされる原動力はフィリピンの出会いの中に有りました。
二千年の歴史を持つ棚田、j高床式の藁葺き家屋、ふんどしの踊り、木、みず、風 石
八百万の神々をあがめ祈る、精霊を身近に感じる山岳の民族に僕は畏敬の念を持ち、僕たちがここからも来たことを感じた。フィリピンを旅した仲間と7月の末頃、
越後妻有でキドラットさんと再会しまた新たな旅がはじまる予感。

私的コーディリレラ棚田 その1−1

  • 2009年02月27日(金)
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もう出発してから1ケ月たって日本にいるのにまだ続いている旅のおはなしです。
三重県亀岡市「月の庭」の歌舞伎昌三(癌をかかえた舞踏家)のよびかけで、頸椎手術回復者の僕が、月乃光司さん主催の「こわれ者の祭典」に参加それ以来何度も共演した歌舞伎昌三こと岡田マサルさんが2008年12月9日最後になるかもわからないと連絡を受け病院にかけつけベッドの上の彼とセッション、生きるとはこんなに劇しく美しく哀しいことを胸に刻みつけました。彼の病床に東ティモール以来活動をマサルさんとともにした環音(わおん)の広田奈津子さんサダムさんがいらっしゃいました。11日の告別式にもお会いしました。
その後電話でフィリピンの棚田へ行きませんかと、おさそいいただき
2009年1月23日、マサルの魂とマニラに到着していました。
(環音は音楽を通して平和な世界をひろめようと活動している団体です。)

2009年が始まって猛烈なスピードで神仏の手によっていざなわれている事を感じていました。

法然院の梶田真章師、笛の中野亘さんのご縁をいただき、2009年1月19日~20日天橋立元伊勢神社に磐笛の奉納演奏に参りました。
つね日頃からすべてのことに意味がある事を感じ暮らしていますので、フィリピンは第二次大戦で日本軍が侵略し多くの犠牲者をだした所であり、この奉納演奏がきっと大切な一歩と雪降る神前で一心に平和を祈る奉納演奏をさせていただきました。
23日にはTシャツ姿で汗のしたたるマニラで舞踏家の純さんと広田さんと合流、夜暗くなると山岳地帯の悪路は危険と翌朝3時4輪駆動のピックアップトラックで出発。マニラ市内の渋滞に引っかかる事も無く車は順調に泥沼、絶壁インディジョーズのような道を進み、明るいうちに無事イフガオのマヨヤオ中央学校に到着しました。こどもたちの笑いごえと澄んだ歌声が聞こえています。
先に到着していた、OTOちゃんraviちゃんサダムさんたちが、準備を始めていました。

Cordillera Green Network(CGN)この地に根付き壮大なプロジェクトをオーガナイズされているアーネルさん真理子さんご夫妻とここで初めてお目にかかりました。
CGNに日本から参加してくれている、琴美さんまっちゃさん。
会場から少し上ると、ブリキで建てられた教会があり元気なこどもたちの笑い声がこだましていました。そこからの眺めは深い緑の聖なる山々と2千年生き続ける棚田。

会場に戻り僕らも準備をはじめる、電源が安定しません、照明をつけると全ての電源が落ちる、照明の電源を小型のエンジン式のジェネレーターから供給すると音響の電源も落ちなくなった。中学生が部族に伝わる演劇や踊りを懸命に表現している。
男子はふんどし裸頭に鳥の羽のかざり、女子は腰巻き(もちろん上は美しい衣装です)
部族によって衣装の色あいが微妙に違う後に教えてもらったのですが、部族によって
織り方が違い文様も違っているからだと解りました。
日本人の60歳の僕は心を込めて演奏した。純と舞踏のコラボレーション、今の自分に極限で向き合った表現をしました。心づくしの食事をいただき、宿舎にたどりつき、飛行機移動、15時間自動車移動到着即、演奏。ともかく今日は終わった。興奮していて疲れている事すら解らないくたくたの状態でしたが、瞑想で平常心をたもつことができました。

私的コーディリレラ棚田 その1−2

  • 2009年02月26日(木)
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翌日は元気にあさ8時に起きる事が出来、村の葬式に参列をゆるされそのごシャーマンがお家に招待してくださいました。
棚田のあぜ道は60cmもなく、3年ばかりの農業経験がありますが歩くのは不可能。
縄文式住宅が高床式になったような、縄文と弥生が現在進行でユウゴウしている。
この棚田は2000年の歴史があるそうです。シャーマン家族とご近所の方も集まり
色々お話を聞く事が出来ました。この國は、スペイン、日本、アメリカの支配をうけ
とくに第2次大戦では激戦がありました、この村も、アメリカ軍に追われ敗走する日本兵が家に火をはなちましたが、この家だけはサージャント タカクラ(タカクラ軍曹)がまもってくれ燃える事からまぬかれた唯一の家です。ここにタカクラ軍曹が暮らした場所にあげていただき、シャーマンの儀式道具を拝見いました。ぼくらを歓迎してくれ、ライスワインをふるまっていただきました、ぼくは3年間禁酒していますが、ここでお断りする訳にはゆきません。そういう歴史があるので彼は僕たちを許し歓迎してくれたことが本当にうれしくこの旅を祝ってくれているので戴きました。甘みと酸味があり、瓶からココナッツのからのボールですくってくれ、まじないの言葉を唱えていただきました。食事も用意するからと、その日に食べる米を、臼と縦長の杵でついて、もみがらを竹で編んだざるで風に飛ばし米だけを何度も繰り返しわけてゆく。
ゆっくり流れる時間、美しい棚田、平穏な暮らしこれ以上、なにも必要ないと感じました。