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気仙沼 大島に行ってきました その2

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お世話になる宿舎の椿荘花月のご主人村上さんが大型バスで迎えて下さった。
作業着に着替え、浜辺へ向かう。テレビで見ていた映像とはまるでちがう劇しい傷跡、4ヶ月たっても、手が付けられていないところが沢山有る。こつこつ手作業でかたずける。でも40人でも不思議にきれいになって行く。夜.食事の後,僕とJUN,参加者の中のダンス経験者と心を込めた鎮魂のパフオーマンス。
その後、ご主人の村上さんの被災の貴重な体験の話を聞いた。
その日は、奥さんの検診で気仙沼市内の病院へお子さんと行っていた、その病院で地震と津波に遭遇、病院の食事用の食パン一枚を6当分した一切れと検尿用コップに入った水、一人一枚の薄い毛布、窓の外には重油タンクが押し流されその後、対岸が火につつまれ、多くの人がビルの屋上に避難していたそうだ、津波からは逃げられたものの寒さで亡くなった人もいた。奥さんの実家が気仙沼の山手だが、津波は谷を駆け上がるように高台へのぼっているので、とても心配していた、3日目にバイパスを歩いて村上さんの避難した看護学校に両親がやってこられた、2日目に病院から看護学校にうつり入れ違いで両親は病院に、真っ暗なトンネルが2つある同じ道を家に戻り、次の日に再会。家族を思う深い愛情が困難を乗り越えた。
村上さんは何気ない普通の生活がどんなに大切なものかを語ってくれた。

  • 2011年07月20日(水)13時27分


気仙沼 大島に行ってきました その3

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2日めは港の食堂街の片付け、何軒も並んでいた建物は、形を残す2軒以外は流されてしまっている。強烈な日差しの中作業は進む。2日目ともなると、連携がとれてコンクリート、石、たたみ、ガラス、陶器、鉄、プラスチック、ふつうごみ、木材、と分別して運び山をつくる、汗がふきだす、30分に1度休憩、水、塩分を補給。昼食後も、順調に作業、ここにはフェリー以外一隻しか船がない、熱中症や、けが人が出ると島民の病人の搬送の邪魔をしてしまう。自己責任で安全を確保しなくてはいけない。女性の方が少し頭痛を訴えられたが、皆の気遣いで大事にはいたらなかった。ちょうど、満月で作業が終わる頃、満潮この島は全体に1m地盤沈下しているから港の付近では作業しているところに海水がながれてきた。消防車が警戒を呼びかけに巡回してきた。本部テント荷物も移動、ことなきをえる。

  • 2011年07月20日(水)13時24分


気仙沼 大島に行ってきました その4

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作業を終え島のボランティアの方に御挨拶すると、こんなにきれいにしてくれてありがとう、もっときれいな大島になった時またきてほしいと涙をためていた。こんな、ささやかなことでも感動してもらえるんだ。きてよかった。
大島は、もともと本当に美しい島で観光客でにぎわっていた。
皆さん、旅館もあるしこころずくしのおいしい食事もあるし、なにより温かいこころに出会える大島にゆきましょう。

  • 2011年07月20日(水)13時15分


晴れました。

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アースデイin大阪、主催代表として7年進めてきました。今年に入って準備するなか串間、上関のことをアースデイ東京のこうちあきおと話し合いながら進めているうち、東日本大震災が起こり急展開、アースデイとしてどう支援するのかと云う話になりました。
24日当日、晴天! たくさんの方々が集まって下さいました。
開催の準備を進める中、僕の友人で東北の人も数多く安否確認出来た人と、そうでない人もいましたがその中に実家が大船渡の人もいました。あまりに激しい被害の映像をみるなか、電話をかける事も出来ないでいました。ところが当日、電話もかけにくいだろうと思って顔を見せに来たよと無事を知らせに会場に来てくれました。
出会いと云えば、前日の大雨のなかの準備風景をFace bookにのせたら、
劇団態変の金満里代表がゲルについてコメントしてくれ、当日来てくれました。

天気に恵まれ、たくさんの人の笑顔に出会えうれしかったです。

  • 2011年04月25日(月)16時49分


4/17

昨日、4/16京都へ移動中舞踏家の桂 勘さんから電話が有り。
あす。つまり今日4/17 演奏してほしいとのオファーでした。
KBS京都の生放送も、とても気持よく。夜のうずらギャラリーのコンサートの時間まで、友達と楽しい会話。コンサートには桂さんも来ていただき。深い洞察を語られました。
きょうは、タイの胡弓と笛の方と共演です。桂さんの舞踏楽しみです。
アーバンギルドは京都市木屋町三条下がるニュー京都ビル3Fです

  • 2011年04月17日(日)16時41分


本田孝義監督より電話いただきました。

「船山にのぼる」の映画監督の本田孝義さんから電話をいただきました。テレビにながれる厳しい状況を写すニュースの映像はあまりにつらく、風の楽団岡山ライブでの僕の作曲した「ふるさと」の映像と音楽を、You Tubeにアップしたいとのことでした。みなさまが安らいで下さるお役にたてればうれしいですとお答えしました。

何かできる事はないかと気をもむ毎日ですが、法然院の梶田真章さんの呼びかけで追悼の法要、鐘を突き、ドゴンの笛で奉納演奏をさせていただきました。
生かされているこの今に感謝しています。




  • 2011年03月31日(木)16時39分


この度の震災

3月10日長野県の駒ヶ根に吉本有里さんのレコーディングにでかけました。10日夜はおしゃれなカフェでライブ。11日朝からレコーディングがはじまり、心地良く録音は続きました。昼食後の録音最中におおきな長い揺れがきて外へでました、それから5分位に感じるほど揺れ続けました。おさまってからも余震がありましたが音楽に集中しているので、テレビは見ませんでした。持参したラジオを寝床で聞くと,未だかつてない災害の様子が聞こえています。前むいた気持ちで音楽を表現したいのでそのまま眠りました。その眠りの中轟音がなり飛び起きました、ラジオで長野県が震源の地震だとわかりました。12日午後明るいうちに録音を終え名残惜しみながら中央高速に乗りました。車の流れもよくスムーズに走っていました。給油のため、サービスエリアのスタンドで満タンお願いしますと云うと、供給のめどがありませんので20リットルしかお入れする事は出来ません,との答えにこれは大変な事が起っていると身を以て感じました。そして一度も休む事無くひたすら走り続け大阪の我が家にたどり着き,楽器や荷物を降ろし一息ついてテレビをつけると、いままで見た事のない光景がくりひろげられています。涙が流れてきました。何かしたい、出来る事はなにか、きちんと考えて、被災者に迷惑をかける行為はさけないといけないし,もどかしい思いが募るばかりです。
僕が代表を務めるアースデイin大阪ロハスサイクル実行委員会として、
4月24日アースデイin大阪を旧北天満小学校で自転車発電のエネルギーだけでおこないます。微弱な発電で、被災地に電力を持っていく事は出来ません、しかしエネルギーの大切さを身体を使って感じていただき、実行委員会,参加して下さる方、ひろく皆さんに呼びかけ、私たちが出来るかぎりの救援活動をさせていただきます。
また、アースデイ in 大阪 ロハスサイクル実行委員会は、アースデイ東京2011実行委員会が発表する「上関に関する声明」に賛同し連名しております。
アースデイ東京の理事こうちあきお氏と電話で全国アースデイとして,原発のことを考えなくてはと云っていた矢先、福島第一原子力発電所で事故が起こってしまいました。懸念していた事故です。これから、未来に向けて社会、エネルギーのありかたを
根本的に考え直す時が来たと思います。世界が賞賛する日本人のすばらしさは、争いをやめ世界中が一つに成る事を示していると思います。

  • 2011年03月17日(木)16時38分


スタッフ ベンダ ビリリをみた!!!!

そこぬけにあかるく、元気で、観客みんなが笑顔で踊りだすバンド、「スタッフ ベンダ ビリリ」 をNHK Hiでみた。コンゴのキンシャサの手作りの3輪車いすに乗る
元ホームレスのバンド。缶と木で作った一弦琴サトンゲ、まるでオーバードライブのかかったエレキギター、箱にキックのベードラ、木をくりぬいたタムのおんぼろドラムキットが作り出すコンゴリーズルンバの強烈なグルーブ、分厚いコーラス。
かっこええ。ベンダ ビリリはリンガラ語で外見にとらわれるな中身を見ろ、と云う意味だそうだ。
「オレはかつて段ボールで寝ていたが、ツキに恵まれマットレスを買えた。人間に“再起不能”なんてことは絶対ない、“遅すぎる”なんてこともない」と真の障害は肉体ではなく心の中にある、と人々に呼びかける。

音楽でみんな繋がりアフリカいちのバンドをめざした彼ら。音楽は楽しくすごい力を持っている事にまた感動した。ほんとにかっこええ!!

  • 2011年01月23日(日)16時38分


2011年1月9日 東京江古田バディー40年目の奇跡

白カラスLive at江古田BUDDY
このライブが決定したのは2010年12月9日だったと思います。ウォンさんがウィキリークスに流出した凄惨な映像に衝撃を受けたことが動機となり平和の祈りをもとめ、実現にこぎつけたのだと思います。ウォンさんと僕は、昨年も大阪でコンサートをした『アースブリーズ』というアルバムを3枚出したり、濃密なおつきあいをさせていただいていました。YAS-KAZ氏とはここ15年ほどお会いもしていなかったのですが数ヶ月前突然電話が有り元気で居る事を確認、ウォンさんの電話番号を教え連絡を取り合ってほしいと話しました。事が動き出したのはその後のことです。YAS-KAZから聞く所に寄ると1968~9年僕は今は亡き素晴らしい大先輩であるベイシスト吉沢元治さんとデュオしていました。YAS-KAZ氏はその演奏をみて、一緒に演奏をしたいと思ったそうです。ウォンさんにはある大学の学園祭でお互い別のグループで出演していて、僕から一緒に演奏しないかと声をかけ、当時[前衛音楽]とか[実験音楽]とかよばれていた音楽のメッカ・ピットインニュージャズホールで演奏するようになり、YAS-KAZ氏も加わり
白カラスというバンド名で活動するようになりました。この三人で演奏するのは本当に40年ぶりでした。それぞれがたどってきた道のりを過去形ではなく未来形で表現した奇跡の2時間でありました。すこし時間が流れあらためて奇跡のながれをかみしめています。いかされて、出会えて,前むいて演奏出来て、至福の時でした。

  • 2011年01月15日(土)16時36分

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